kokoro omoi (4Q8Q/ZYTOKINE) 考察
「さまよう刃」で、妖夢のキャラ性について共感ができたのでこちらでも。
「kokoro omoi」は、ZYTOKINE48枚目のアルバム「4Q8Q」の大トリを飾る曲です。
まず最初に言いたいのは、このアルバム中の曲はこれ以外は暗い曲ばかりだということです。
死を肯定すらする曲もあります(faint meteors/幽々子のボス曲2つが原曲)。
だからこそでもありますが、私はこのアルバムでこの曲だけが印象に残り、忘れずにいました(DEATHの考察をしなければ思い出すこともありませんでしたが)。
さて、歌詞ですがまず「愛」から始まります。
そして最後のフレーズは「もう剣はいらない」です。
ここだけ見れば「愛と平和」であり「ラブ&ピース」です(大事なことなので2回)。
全体の流れを要約すれば「愛を求めて苦しみ、景色や自分を否定せず美しみ、相互理解には武力は必要ない」と言った感じ。
剣士である妖夢と重ねることでこれは説得力が増すように思います。
「愛」は幽々子のものでしょうか。半人前なのに寿命がはるかに長いのは苦痛でしょうか。それでも歌詞の「終わりまでの短い距離」があるのはなぜか。「心の奥にある幸福」に「ずっと目をそらして」なければいけないのはなぜなのだろうか………。
私は「幸せ」「幸福」を簡単に、いや一言でも口にすることは自ら禁止してきました。
うさんくさいものだと、人間が生きる上での単なる「エサ」だと認識していたからです。
周りにはその私の考えを否定するものに溢れていて、それを目にするたびに私は反発して殻にこもり続けてきました。
この曲はそれを優しく、美しくたしなめてくれたと勝手ながら感じております。
曲調も、本当に優しく美しい。
さまよう刃を緩やかにし、慈しみをプラスしたような、そんな楽曲。
aki氏の歌声は言わずもがな。この曲にはaki氏の声しか添えられない。
そもそもがイントロの前に存在する、何かを斬り崩すような刀の音。アルバム単位で聴いてくるとここで少し感動してしまいます。
アルバム全体での評価・考察は今のメンタルではとても無理そうですが、「kokoro omoi」に巡り合うことができただけでも、ZYTOKINEを聴いていてよかったなあ、と痛感しております。
本当にありがとう。
妖夢ちゃんに興味が湧いたので少し二次創作してみようなんて言ってみたり思ってみたり…